「山ぶどう製品で自分のブランドを作る」-移住から10年を振り返る-



農業が盛んな八幡平市。移住にあたって自分の事業を展開したいと希望する方もいるのではないでしょうか。今回インタビューを行ったのは、2008年に移住し、山ぶどう生産者として「WILDGRAPE FARM 八幡平山ぶどう農園」を営む三浦学さん。「家業を継いだ訳ではなくて、自分のブランドを作りにきた」と語ります。

山ぶどう生産者、カメラマンやデザイン事務所の代表、トレイルフェスの実行委員長など、多彩な活動を展開する三浦さん。八幡平市で自分の事業を展開する先輩ならではの視点で、10年間の振り返りや移住についてお話しいただきました。


自分のブランドを作る

三浦学さんは神奈川県横須賀市出身。大学卒業後はフリーのカメラマンとして活躍していました。移住のきっかけは、山ぶどう農園を営む奥さんの実家から、販路について相談されたことだと言います。

「山ぶどうは、東北地方では名前が知られているけれど、関東以南ではほとんど知られていないんですよね。僕も山ぶどうなんて言葉を聞いたことがなかった。山ぶどう自体が持っているポテンシャルは高いけれど、関東の方に出回っている商品でもないから、ビジネスチャンスがあるかなと思ったことがきっかけの一つです。山ぶどう製品で自分のブランドを作ることを、じゃあやってみようと思って移住を決めました」

期待感が大きいなか唯一の不安は人間関係

三浦さんの農園付近にある七時雨山の様子

「田舎暮らしに不安はなかったですか?」と問いかけると、興味があったこともあり「田舎暮らしへの不安はなくむしろ期待感が大きかった」と三浦さんは答えてくれました。唯一気がかりなことは人間関係。

「八幡平へ来る前、僕の周りには常に人がいたんですよ。それが0になったことが1番の不安要素ではありましたね。当時会社で仲が良かった兄貴みたいな人に『学はどこへ行っても生きていけるとは思うけど、田舎の人間関係に溶け込めるかどうかだけが心配だ』と言われました(笑)」

しかし移住を決めた三浦さんの気持ちに、生半可な思いはありませんでした。

「ダメだったらどっか行けばいいやというような考えは最初からなかった。根を下ろす覚悟を決め本気だったからこそ、不安を払拭できたんだろうね」

ガラッと変わった生活

三浦さんが撮影した八幡沼

2008年、三浦さん夫妻は都内から八幡平市へ移住をします。生活は180度変わりました。

「報道カメラマンとして働いていた時は、完全に夜型の生活でした。深夜1時くらいまで会社にいて帰宅するのは2時頃。3時から朝の9時まで寝て、それから仕事に行きます。それが農家をやるようになって、日が昇ったら起きて暮れたら寝るような生活に激変。『こんな生活あるんだな』と思いましたよ」

大きく変わった生活リズムは自然と身体に馴染み、山ぶどう生産者としての三浦さんのキャリアがスタートします。

岩手で1番を取る、本気のブランディングへの道

移住に際し、三浦さんは最初から岩手で1番を取ろうと決めていました。

「岩手県には『いわて特産品コンクール』があります。そこで1番を取ってやろうと思っていました。僕は山ぶどう製品で自分のブランドを作りに来ましたから。その為にも、他がやらないことをやらなきゃいけない。同じことをしていては新興勢力は埋もれてしまう。無農薬栽培ということは第一前提でした。それに商品のデザインも自ずとこれまでにない新しいデザインになってきます」

三浦さんが経営する「WILDGRAPE FARM 八幡平山ぶどう農園」は、1haの農園に無農薬の山ぶどうを栽培。パンフレットやパッケージは、神奈川新聞の出版局でデザインをしていた奥さんである綾子さんと一緒に作り上げています。

「ブランディングとして、僕はみなさんに向けて情報をランダムに出すよりは、ちゃんとターゲットを絞って出した方がいいと思っています。WILDGRAPE FARM のデザインは、例えば田舎のおじいちゃんとかが見たら「これなんだろう」と思ってしまうかもしれないけれど、響く人には響く。ターゲットを絞ることでターゲットに深く食い込んでいきます。

そもそも関東での販売を視野に入れていましたから、飛び抜けたものでないと関東では目立たない。山ぶどう自体のポテンシャルは高いけれど、いくら商品の良さを説明したとしてもそういう商品はたくさんありますので。だから僕の場合は『僕自体がキャラクターになる』んです」

WILDGRAPE FARMというブランドを作り上げる

「自分が商品になる場合、あくの強さが必ず必要になってきます。僕は自分のポリシーとかアイデンティティというものを絶対にゆるがさないつもりで来ている。例えば、見た目も大事な要素なので長靴を履かない農家になるとか。キャラクターが立つことで埋もれずにブランド化につながります。

無農薬で三浦学という人間が売っている山ぶどうの商品であり、関東でも通じるデザインを持っている。無農薬であることと合わせて、僕というキャラクターや商品のデザイン性の高さは、WILDGRAPE FARM の強みです」

移住してから5年間「WILDGRAPE FARMというブランドをしっかり作り上げる」ことに力を注いできました。

5年と言っても、最初の1、2年はライフスタイルの確立からのスタートです。まずは自分たちが生きていかないといけないので(笑)守ってくれるものもないですから最初から本気で人と向き合っていました」

ライフスタイルの確立から始まり、ジュース・お茶・塩などの山ぶどう製品の開発や市外のイベント参加など積極的に活動します。三浦さんが作ったWILDGRAPE FARM の商品の一つが山ぶどう塩です。宮古の天然塩に山ぶどう果汁を使い、八幡平の特産である松川温泉の地熱で乾燥させて仕上げています。

出典:ハチクラWeb

「最初の5年間、八幡平ではあまり知られていなかったと思います。むしろ県庁所在地で対外的な人間に対するハードルが低い盛岡とかの方が僕のことを知っている人はたくさんいました。僕の考え方として、僕が外に出ていかないといけないって思っているので。ただ好きで毎日通っていた温泉では、僕のことを知っている地元の人もいました。八幡平の人は普段寡黙な人が多いんだけど、風呂場だと喋るんですよ(笑)」

こだわりの無農薬栽培、新製品の開発、自分自身が商品になるスタイルでの地道な活動、明確にターゲットを絞ったスタイリッシュなデザイン。WILDGRAPE FARMが有名になるにつれて、三浦さんの名前が八幡平市内でも知られるようになっていきました。

そして、平成27年には『山葡萄の新芽のピクルス』がいわて特産品コンクール食品部で県知事賞を受賞。

「今から振り返れば、最初の一区切りは県知事賞を受賞した時でしたね。この時、最初の節目はいいかなと思いました。これでWILDGRAPE FARM はある程度有名になったなと。ものを作れば作っただけ売れるでしょうという状況になっていくわけです」

WILDGRAPE FARMが生み出す山ぶどう食品は、都内の一流ホテルや3つ星のレストランに採用され、高い評価を受けるように。1つの目標をクリアした三浦さんは、市内に向けた活動にも力を入れるようになります。

市内へ足を運んでもらう仕組みづくり 


県知事賞受賞という1つの節目を越え、三浦さんが始めた新しく力を入れた取り組みが「The BLURRED PHOTO(ブラードフォト)」です。写真家という一面も持っている三浦さんが中心となり、カメラに興味を持つ若い人達を集めて、写真の技術を教えています。『とにかく撮って楽しむ』というコンセプトに惹かれる参加者は多いです。

三浦さんが撮影した見返り峠

The BLURRED PHOTOを始めた時は、それまで外的に盛岡とかそういうところで一生懸命やっていたけど、内向けに何かしたいなと思ったんですよね。僕の持っているスキルとして写真があるので、写真を通じて何かみなさんとやりたいなと。

そもそも僕の商品は八幡平でも売っているけども、ここに人が来ない限り、売れない訳だから。どうにかしてここに足を運んでもらわなきゃしょうがない。来ていただくきっかけとして僕は写真を使ってお客さんに来てもらうかなと考えました。自然の写真とか、写真を取りたい人はたくさんいますので。

そこで経済効果が生まれるかどうかはわからないです。でも、それはここに来てもらなければ分からないことだから。お金を使うか使わないかは、足を運んでもらった先の話です。まずはここに足を運んでもらう方法・手段を考える。来てもらったらどこかで僕の商品に出会ってもらって、買ってもらえればいい訳だから。そこに繋がってくる。The BLURRED PHOTOの活動も5年以上経過してから、八幡平で写真を撮るお客さんは確実に増えていますね。」

三浦さんは他にも「七時雨マウンテントレイルフェス」の会長もしています。東北で1番大きいトレイルランニングを中心としたアウトドアイベントであり、6回目となった2018年には県内外から約500人が参加しました。

「七時雨マウンテントレイルフェスの運営は大変だけど、俺はお客さんを呼ぶことが自分の利益に繋がるって信じているんですよね」『The BLURRED PHOTO』も『七時雨マウンテントレイルフェス』も「地域の為にやっていることが結局は自分の為にもなる」と三浦さんは力強く語ります。

自分の立ち位置を作ることに10年、自分にできることを一生懸命行うことで道が開けていく

三浦さんが撮影した為内の一本桜

インタビューをした時点で、三浦さんは八幡平市に移住してから10年が経過していました。「僕みたいに"あく"が強いと地元の方に受けいられれるまでに時間がかかりますが」と笑顔で語る三浦さん。穏やかな物腰ながらも強い意志が宿る力強い目に、移住してから自分のブランドをしっかり作り上げることに力を注いできた自信が感じられます。

「振り返るとさ、今の自分の立ち位置を作るのに10年かかっている。でも10年かかるのは普通だよね。僕はあくが強すぎるからそういう意味では地元の人と打ち解けるまでにかなり苦労しましたよ。でも、僕は最初からこっち(八幡平)で生きていくと思っているので。なんだろうなあ。本気で付き合おうとする訳だよ。人間とね。すると、56年で地元の人の見方もちょっとずつ変わってくる」

今、三浦さんは「学さん」と呼ばれ多くの人から慕われています。人間関係が0から始まった八幡平市での挑戦。WILDGRAPE FARMを軸に三浦さんの周りには人が溢れ、三浦学というブランドが八幡平市へ人をひきつけるようになりました。

三浦さんの活動は止まりません。これからもやりたいことは多いと言います。

WILDGRAPE FARMの新しい製品の開発ももちろん行いますし、The BLURRED PHOTOの認知度ももっと上げていきたいので写真にまつわるグッズ作りも一つの手段として考えています」

これから移住をする人に向けて、三浦さんは自分ができることを一生懸命行うことが大事であると語りました。

「自分が何をできるのかを明確に自信を持ってさ。あればそれを一生懸命やればいい。必要以上というかここまではできないなというところまで手を出さない。どういう風にして生きていきたいかを考えて本気で取り組んでいれば、地元の人とも打ち解けられていくと思うよ」


text : Yuko Matsumoto