みなさん、こんにちはこんばんはおはようございます。
Midzuki Fukudaです。
八幡平に歴史のロマンを感じさせるニュースが入ってきました。
縄文時代───。時期の始まりと終わりについては多くの議論がありますが、今から約16,000年前〜約3,000年前までの時代を指します。学校での社会の授業でも一番最初に習う、日本の歴史の始まりと言ってもいいかもしれませんね。
そんなはるか太古の縄文時代の遺跡が、八幡平市・長者屋敷公園の駐車場そばにひょっこり顔を出しました!
今回は少し、縄文時代の勉強にもなる記事をお届けします!
ご注意
今回取材させていただいた際は、関係者のため特別に現場に入らせていただきました。遺跡発掘現場は関係者以外立ち入り禁止です。
今回取材させていただいた際は、関係者のため特別に現場に入らせていただきました。遺跡発掘現場は関係者以外立ち入り禁止です。
長者屋敷公園とは?
まず、簡単に長者屋敷公園をご紹介。
場所はこちら↓
公園は、岩壁の割れ目から湧く長者屋敷清水が名物です。「岩手の名水20選」に選ばれ、地元の方々もタンクで汲みにくるほど人気。ほんのり甘みを感じられ、そのまま飲むのはもちろん、コーヒーなどの飲み物や炊飯に活用しても美味しくいただけます。
水道工事前の調査で遺跡が出土
その長者屋敷公園の駐車場横で、水道工事前の文化財調査のため、掘削が行われていました。すると、縄文時代中期・約4,500年前〜約5,000年前の遺跡及び土器が出土。
『竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)』の集落群が見つかったのです。
Tips:竪穴式住居とは
地面を円形や方形に掘り窪め、その中に複数の柱を建て、梁や垂木をつなぎあわせて家の骨組みを作り、その上から土、葦などの植物で屋根を葺いた建物のことをいう。旧石器時代から平安時代頃まで作られていた。(参照:Wikipedia)
調査は2019年6月からはじまり、8月末現在も続いています。現時点で9月上旬終了を予定しているそうです。
発掘調査の作業をしているのは、主に地元の一般の方々。暑い中の大変な作業だと思いますが、歴史にふれることが出来るのは貴重な経験ですね。
皆さんを仕切っていらっしゃったのは、なんと八幡平市博物館職員のお姉さん。
学芸員として発掘調査の経験があり(!)、今回携わることになったそうです。
縄文時代の暮らしがすぐそこに【住居編】
掘り進めると、徐々に住居と生活の跡が明らかになってきました。
それでは、ひとつひとつ遺跡についてご紹介。タイムスリップした気分を味わってみてください。
こちらの写真。一見ただ石が転がっているように見えますが、実は縄文時代の生活
に欠かせないとあるもの。
赤い丸を付けてみました。石で丸く囲まれているように見えませんか?
こちらは『石囲い炉』というもの。炉、つまり火を焚く場所ですね。今でいうキッチンのガス台といったところでしょうか😆
どんな料理を作っていたんでしょうね〜。
写真左下の大きな岩は、当時も元々埋まっていて、石囲い炉の一部として活用していたことが考えられるとのこと。
炉の中をよく見ると、矢印の部分の土が、炉の周りの土と比べて赤茶色になっています。これが火を焚いた動かぬ証拠。
土が火によって焼けて酸化した『焦土』なのです。
四角く掘られた中央の穴は調査用で、どの程度の深さまで、焦土が溜まっているか見るためのもの。当時の人がしっかりと炉を使っていたことがわかります。
上記の石囲い炉が見つかった場所だけでも、その他の炉跡が上下に積み重なる形で4つありました。
つまりこの場所には、時代を越えて計4棟もの竪穴式住居があったということになります。
なぜ、これほど同じ場所に遺跡が重なって出土するのか?
ご紹介した長者屋敷清水をはじめとした湧水、そして遺跡のすぐ横には川があり、水に困りません。とても良質な水場です。
またすぐ近くに丘や山があり、狩りをする縄文人にとっては食糧にも困らず、まるで縄文人たちの楽園。住み着きたくなるのもうなずけます。
結果、複数の時代の縄文人が、先人と同じ場所で新たに生活を始めていたということです。
ちなみに、今回に限らず長者屋敷公園内およびその周辺では、以前からも数多くの遺跡が出土しているとか。
▼積み重なって出てきた突き出る石囲い炉の跡と焦土(断面)
▼石囲い炉のほか、竪穴式住居の柱の穴跡も見つかりました
縄文時代の暮らしがすぐそこに【土器編】
特別に出土した土器の破片を見せていただきました!
なんとこれら破片や出土品だけで、みかん箱大のコンテナ4、5箱分出たそうです!!😳
土器の文様が想像できそうなものも。全体はどのくらいの大きさだったんでしょう…。
冒頭の写真でありましたが、状態が良くきれいな形で発掘された土器があったため、こちらも見せていただきました。実物を生で見れた歴史好きの私、感動😭
土器の大きさは、だいたい野球ボール大くらい。
こちらの土器、おそらく祭事や儀式のために作られたらしいですが、詳しい用途はまだわからないそうです。
側面に目立つ、まるで貯金箱のように開けられた切れ込みも、何のためなのか不明で、謎は深まるばかり…。
土器の中を照らして覗いてみると、土の色とはまた少し違う、赤銅色のような色。
こちらは焦土と同じように、土や鉄鉱石が酸化して赤くなったものを素材とする『ベンガラ』という顔料が塗られています。古代から親しまれてきた最古の赤色の顔料です。
赤色には魔除けや破邪の意味合いがあり、これを塗っていたということは、やはり儀式などで使われていたことがわかります。しかし、なぜ底だけなんでしょう…。謎が謎を呼びます…。
こちらは『動物型土製品』。子どもが作ったのでしょうか。形がいびつですが、土で動物を模したものです。博物館のお姉さんには、脚らしきものがわかるようですが、私には全然わかりません。笑
最後はこちら。何だと思いますか?
細長く、鋭利に削られた石。こちらは狩りには欠かせない、石槍の先端部分です。
これで獲物を仕留めていたのですね。やや光沢もあって、刃物らしい緊張感が伝わってきました。
感想:歴史はつづいている
水道工事としては工期が延びてしまう思わぬアクシデントでしたが、過去の人の営みを顧みる貴重な機会となりました。そしてこの工事もまた、現在の人の営み。今回の出来事もまた、歴史になっていきます。
積み重なっていく歴史の中、様々な時代の先人達がこの土地を選んだ理由とは。なぜ、そこに自分の根を下ろそうと思ったのか。
どんなに時代は違えど、今の私達がそれを一度深く考えてみることは
『この場所だからこそ』『八幡平だからこそ』と、同じ場所に今、歴史を刻もうとしている一人間として、大事な理由を見つける一つの糸口になるかも知れませんね。
もっと八幡平の歴史を知りたい方は、博物館で
この遺跡に関してではありませんが、遺跡、歴史や縄文土器に関しての展示は、八幡平市博物館にございます!今回取材に協力してくださった、博識の学芸員のお姉さんもいらっしゃいます。
今回の記事で、八幡平の歴史に興味を持たれた方は、ぜひ博物館へどうぞ!