新体制で協力して作り上げた謝恩会【連載 第2回(全3回)】

八幡平で暮らす人インタビュー

積極的に地域に関わる

前回までは仕事を中心にお話しいただきましたが、実は宮野さんは、積極的に地域の行事などにも関わっています。2019年11月現在、商工会女性部の部長も務めており、ご自身がリーダーとなって、行事に取り組むこともあるそうです。

その一つのエピソードとして、斬新な組織を作って盛り上がった小学校の行事の話を伺いました。

女性だけの役員会

「息子と娘がいますが、娘が小学校6年生の時に、前代未聞で役員が全員お母さんということがありました。都会の学校でしたら違うかもしれませんが、田舎ではとても珍しいことなんです。組織を作ると言っても女の人だけで作るのは商工会女性部でもない限り、もしくは農協の婦人会でもない限りないに等しいです。

私は、娘が6年生の時に学年長をやっていて、副会長などをお願いする時に”自分で手伝ってほしい人を決めてもいい?”と言ったらば周りが”いいよいいよ”となって笑。じゃあよしっと言って、副会長だったり、書記や会計だったりをお願いしたい方が、みんなお母さんたちでした」

新体制で新風が舞い込む


新しい形になったことで新風が舞い込みます。

「女性だけだからみんなで集まりやすくて会議も白熱しました。小学校の卒業式のいろいろな謝恩会のことを決める時も、最初は先生も加わっていたのですけど、ある時どうしても家の用事で帰らないと行けない時があって、なんなら事後報告しますからと伝えました。時間もないから、集まりたい時に集まって、やると決まったことを学校に報告しますと。するとお任せいただいて結果を報告する形で大丈夫となりました」

風通しの良い組織が出来上がり、自発的な流れが生まれます。宮野さんはこの機会に新しい提案をしました。

役員も楽しめる謝恩会を開こう


「役員の集まりで、私は”ごめんね、やりたいことがどうしてもある”と伝えました。謝恩会で役員の中だけであれもこれもやるのは絶対無理だ。今までの先輩お母さんたちから聞いてきて、ご飯も食べられない、お料理も食べられない、発表も楽しめない。そういうのを聞いてきたから、役付いたからって、それはありえない、やっぱり楽しまないと笑 だから、司会進行の段取りは役員でやろう。ただし、余興は外そう。私が1人、長決めるからと伝えて。

そしてあるお父さんにお話をして”こういうことやりたい、何やってもいいから”と伝えたんです。最初は”えっ俺、人集められないですよ”って言われたました。予想していた返答でしたが、”なんてもない、なんてもない”と説得をして笑。”あのね、今私が喋ったことを伝えて通じる人を集めれば良いから”と秘訣を教えると、最終的に8人の人が集まったと連絡がきました 」

余興を担当する人達が決まり、盛り上がりを見せていく中で、宮野さんはもう一つのやりたかったことを実現するために動き出します。

思い出のムービー作りと協力体制

「何人かはハマらないって人がいましたが、余興はいい感じに盛り上がっていました。そっちは好きに進めてもらい”あともう1つやりたいのがあるの”と役員の中で話をして、思い出のムービー作りを進めました。写真は全部学校にお願いをして、また役員の外の方に構成やエンドロールの作成をお願いし、外せない要所をお伝えする他はお任せする形で。たぶん、苦労したとは思います」

次々に企画が形になっていく中で、それぞれ協力し合います。

「余興に使いたいものを聞いたら”お面を使いたい”と言うので、それはこちらで作ると提案をして協力しながら進めました。ただ作るだけではなく使えるものをインターネットで検索して、行動の早い方がダーッと申し込みを済ませ、お母さんたちに声かけて”お手伝いできる人は何時のいつそれに集まってください”とお知らせしたんです。そしたら日替わりで結構人が来てくれました」

話を伺っているだけでも、一体感や盛り上がりが伝わってきます。迎えた当日も宮野さんは工夫をしながら進行を務めました。

記憶に残る謝恩会


「当日、みんなで踊る時には座っている人がいたらば”お座り禁止ですよ”と伝えて。そしたら、ちゃんとそれに対して、うちの旦那はそういうのが苦手だからって言ってくれる人がいました。そういう時は”踊らなくても、立って、手振っているだけでもいいから”と。それでも座っている人がいたら”そのへんは申し訳ないけれども、ごめんねって。ビデオを撮るから”と伝えると協力して立ってくれて。最終的には全員総立ちです。珍しいことだったらしく、この親たち何!?と驚かれましたね」

余興を含めて完成度が高かったことで、もし声がかかったら余興を披露しようと密かに練習していた先生たちも驚かせたそうです。アイディアを出し、人を動かして謝恩会を成功させた様子が伝わってきますが、宮野さんは「たまたまね、その学年の親たちがそういう親たちがいたの」と謙虚に語ります。

小学校の謝恩会が盛り上がったことで、思わぬことも起こりました。小学校の鮮明な記憶から、中学校の時にも「あの小学校のときみたいなことをやりたい!」と話す方が出たのです。

「中学校の場合は、卒業式の段階でまだ合否がわからない子もいます。だから、普通は謝恩会は行いません。私たちの時も、謝恩会を行うかどうかは考えないかという意見もあり、親たちでいろいろと話し合いを重ねました。最終的に”いや、受験はもっと早く終わっていて。受験のために子どもたち、一生懸命頑張ってきている。頑張って受けて、受けたらば、後は結果を待つだけだから。その頑張ったことに、卒業式の後、落ちていたとしても、頑張ってきたことに対して、お疲れさんという意味でやるか”ということにみんなで決めました。

新しい人が長を務めて、小学校の謝恩会の時に動いた親達が集まって、加えて小学校のときにそこにハマりたかったって言っていた人が何人かハマって行ったんです」

親が楽しみながら進める謝恩会に、子どもたちも喜んでいたのではないかとお聞きすると、「子どもたちね、いい加減にしてくれって言ってました笑」と茶目っ気のある笑顔で答えてくれました。

最終回ではこれから八幡平へ来る方へ向けたメッセージなどをお伺いしたので、ご紹介します。